<南風>焼き飯と自叙伝


社会
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 うまい焼き飯を作るコツは強火で短時間。その方が卵と飯粒が程よく混ざり、飯粒はパラパラとフライパンにへばりついたりしない。そんな感じで焼き飯を炒めている時だった。飯粒が油にはじかれる音にまぎれて、かすかにスマホの着信音が聞こえる。「こんな時に…」と思いながら、電話をとると仕事の依頼。テレビ番組の企画で、あるおばあちゃんの自叙伝を書いてほしいということだった。

 僕はその仕事を承諾。その間、焼き飯は焦げた臭いを放ち僕に訴える「ここも気にして…」と。焼き飯作りには失敗したけれども、自叙伝作りの機会を得た僕は、主役のおばあちゃんに話を聞きに行った。八十を超える元気なおばあちゃんで、僕にその半生を語ってくれた。おばあちゃんが小さい頃、戦前に家族で沖縄から旧満州国に移り住んだ。そこで待ち受けていたのが本土移住者たちからの沖縄差別。宮城県と同じ宮城を沖縄人は名乗るなと。

 その後、沖縄に戻るも沖縄戦を体験。お墓や壕に隠れ生き延びた。満州で父親と生き別れ、兄を若くして失い、家は貧しく、小さい頃から働きっぱなしで、学校には通えなかったという。そして次の試練が風疹(ふうしん)。結婚して風疹児を生んだおばあちゃんは、親戚から責められながらも耳が聞こえない息子を一生懸命育てたのであった。

 そんな波乱万丈な人生を1週間で自叙伝にしてほしいという。「できるか」と思いながらも、驚異的な集中力で「はっちゃんと夕日」という物語として完成させ、手渡すと…「やっとできた? 遅いよ。もっと早く持ってくると思ったさ~」とまさかのダメ出し。これくらいのずぶとさがないと戦後の苦難を乗り切れなかったであろう。強く生きてきた女性の姿は優しくも大木の様。あれから焼き飯を作る度に思う…自叙伝って他人が書いて良かったの?
(上原圭太、漫才コンビ・プロパン7)