<南風>本土復帰の日


社会
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 まもなく本土復帰の日です。復帰20年の5月15日は、宜野湾市のコンベンションセンター前から朝のニュース番組の全国中継に始まり、県主催の式典取材、夜のラジオ出演と一日中忙しかった思い出があります。

 その前にも、記者の大先輩・故藤田太寅さんがキャスターをしていた総合テレビの番組「経済マガジン」をはじめ、NHKもさまざまな角度から復帰を問いかけました。

 復帰20年をどんな観点で取材するのか。平成元年に沖縄に着任した時から頭にありました。それは学生時代の思い出があったからです。

 1972年の復帰直前。広島の高校を卒業し、東京で下宿生活を始めて1カ月ほどでした。下火になったとはいえ、まだ学生運動が盛んな時代です。先輩に誘われて行ったのが“沖縄奪還集会”。安全を考えて少し離れた場所で、白いヘルメットの若者とそれを取り巻く機動隊を眺めるという、いささか緊張気味の青春体験をしました。東京タワーの上に赤みを帯びた大きな満月が輝いていたのを鮮明に覚えています。しかし、貧乏学生にとって沖縄は遠い存在でした。転勤で初めて沖縄の土を踏んだことで、この時の記憶が呼びさまされたのだと思います。

 とはいっても、米軍施政権下の歴史は、よそ者にとって容易に理解できるものではありません。琉球銀行の牧野浩隆さん(後の沖縄県副知事)を豊見城のNHKに招いて、沖縄経済の勉強会を開くなど、努力は重ねたつもりですが、今思うと上滑りだったように感じます。

 首里城正殿が復元されたのもこの時でした。琉球石灰岩の白い城壁に建つ朱色の正殿を見上げる時、地域にとって何が大切なのかを、改めて考えさせられます。

(繁竹治顕、九州国立博物館 振興財団専務理事)