<南風>三線の音色は沖縄の歴史


社会
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 私のもう一つのライフワークは三線製作です。三線職人として一人前ではありませんが、カラクイやウタグチの調整、部アティ、皮張りとどれも好きな作業で、ものづくりの奥深さを感じています。同じことの繰り返しでも数をこなしながら新しい発見と学びがあります。

 心の乱れは作品に影響し、大けがをしてしまう可能性もあるので意識を集中し純粋な気持ちで製作に取り組むことを心がけています。細やかな作業なので忍耐も必要ですが、心を込めて作った三線の音色が人の心を癒やすことが職人としてのよろこびです。

 三線の材料は大切な命をいただいています。パーツが組み合わさり楽器として新たな命が吹き込まれ音が生まれます。受け継がれた古三線は味わいと深みがあります。長く使われずにいた三線を修理する時はその三線がたどってきた歴史を想像します。

 修理が終わり、ぬくもりのある音色を奏で、磨いて元の輝きを取り戻すとうれしくなります。三線の構造と作り手の気持ちを知ることで歌手としての心構えも変わりました。地道な作業は誰が見ていなくても三線の神様がきっと見てくださっていると思います。

 三線はブームから定着に変わりました。その音色には歴史があり、地域やウチナーンチュの思いがあります。三線は時空を超えて過去と現在、未来をつなぎます。歌手として、三線職人としていつもそばには三線があり伝統を継承することの厳しさとやりがいを感じています。沖縄に貢献できるよう前向きな姿勢で技芸を磨きながらこれからも三線と共に歩んでいきます。好きこそものの上手なれ。

 ムヌスクピトゥヤノウユウシミルゥマイジョーズフナズ。長年の経験で培ってきた三線製作の技術と心得を惜しみなく伝授してくださっている比嘉健琉師匠に心から感謝いたします。
(HIRARA(ひらら)、宮古島出身歌手)