<南風>架け橋となるために(上)


社会
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 18歳の頃、私は高校を卒業し、本土の大学に進学した。受験勉強から解放され、1人暮らしの自由な時間、空間にワクワクしていた。近くに高校時代からの友人も住んでいたし、何かあれば相談できる環境があった。親からの仕送りや、バイトもしていたから経済的な心配なんてなかった。そんな大学生活が当たり前だった。

 もし18歳で、今まで住んでいた家を出て、戻ることも許されず、頼れる人もいなかったら、私はいったいどうなっていただろう。進学の選択はあっただろうか。困った時に、一人で悩む以外に、何か方法を見つけられただろうか。悪い手口にだまされず、生活にも困ることなく、しっかり稼げていただろうか。

 虐待や貧困などの理由から親と暮らせず、施設や里親家庭、ファミリーホームで生活する子どもたちは高校卒業後、公的支援が終了し、自立を余儀なくされる。頼れる親や家族はいない。そのことがどれだけ生きる上で困難であるか、想像できるだろうか。

 2011年1月、県内の児童養護施設を訪ねた。そこで当時大学2年生の男子学生と出会った。彼は県外の大学に進学し、成人式で地元に帰ってきていた。そんなめでたい席で、彼は将来の不安を抱えていた。来年度から大学に通い続けるための資金が底をついていた。奨学金を取り、バイトをして、それでも足りなかった。施設も彼を経済的に支援することはできない。

 私は何不自由なく大学を出たのに、その一方でつかんだチャンスをあきらめなければならない学生がいる。この違いは何なのか。私は彼の生まれ育った環境のせいにしたくはなかった。彼と出会った一人として、私が周りに大事にされてきたように、あなたも大事な存在だと示したかった。そして私は、彼を必ず卒業させようと決意した。
(糸数未希、NPO法人にじのはしファンド代表理事)