<南風>脇毛に関する一考察


社会
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 夏が来ますね。夏を前に、脇毛について考えてみたいと思います。現代社会では女性に脇毛を剃(そ)ったり、抜いたりして処理することが奨励されています。せっかく剃っても、抜いてもまた生えてくる憎たらしい脇毛。カミソリで肌を傷つけてしまうこともあります。頻繁に処理をするのは、面倒臭いです。

 最近では永久脱毛も手軽な値段になっています。夏を前に、永久脱毛の宣伝に目がいくことが増えました。永久脱毛に興味がある一方で、実は私は「永久」に脇毛にさよならすることに覚悟がつかないでいます。

 なぜなら脇毛を可愛らしいとも思ったりもするからです。冬に長袖の下で伸ばしきった脇毛は、ナチュラルに当たり前の顔をして脇に収まっています。

 数年前、「脇毛アイドル」を名乗る女性をネットで見かけました。最近は、アメリカを中心に脇毛をカラフルに染めることが流行(はや)っているらしく、その写真を発見した時は感動しました。自分の感性を大切にし、美しさを追求するその姿勢は尊敬に値します。

 私は20代後半で念願の丸刈りにしたこともありますし、普段はメイクをしないなど、画一的な女性の美に反抗的な部分もあります。社会には、女性に対して、見た目に関する注文が多くあり、その上、化粧や毛の処理など時間がかかるものも多いです。私が1日1分脇毛を剃るのに費やしたとして、50年生きるとすると、なんと12日間脇毛を剃っていることになります。

 一方で、人間は社会的な生き物です。自分らしくいたい一方で、周囲の人に評価されたい、浮きたくない等の気持ちもあります。その葛藤はさまざまな場面で私たちが直面するものです。私も夏になると結局脇毛を剃ってしまうことが多いです。

 そんな心の揺れを感じながら夏がやってきます。
(玉城福子、大学非常勤講師)