<南風>県民総決起大会


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 「これは中継ですよ!」NHKの報道デスクだった1995年、県民総決起大会の開催が決定したというニュース原稿を処理した直後、放送部長席に駆け寄ってそう進言しました。NHKのいい所は、スポンサーに関係なく放送できることです。ローカル中継は即決でした。

 10月21日、会場の宜野湾市海浜公園に現場デスクとして赴きました。撮影した録画テープを、東京から出張してきた若いディレクターに託して、一足先に会場から送り出しました。

 ところが豊見城のNHKに戻ると、当のディレクターが着いていません。ニュース時間に間に合わなくなるとひやひやしていたら、しばらくして到着。大勢の参加者に巻き込まれて、方向がわからなくなったと頭をかいていました。

 放送前、ニュースの映像編集でもちょっとした騒動がありました。「静かな沖縄を返してください」という、当時高校生の仲村清子さんの訴えを、デスクのひとりが「高校生を政治活動に利用するのは反対」と放送に入れないよう主張したのです。

 いささか唖然(あぜん)としましたが、その場にいた職員は皆、音声を使うべきとの意見でまとまり、そのデスクは引き下がりました。

 1週間ほど後だったでしょうか、大会事務局長を務めた玉城義和県議(当時)に会いました。「なぜ10月21日にしたのですか」とたずねたら、玉城さんの瞳の奥がきらりと光って、いたずらっぽく微笑(ほほえ)んだように思いました。とたんに気づきました。「あっ! 国際反戦デーだ」

 ベトナム戦争反対を呼びかけて、日本で始まった国際反戦デーの運動は、一時は世界的な連帯を生みました。

 一国主義が大手を振り始めた今、県民総決起大会に込められた意義の重さを改めて感じています。
(繁竹治顕、九州国立博物館振興財団専務理事、NHK沖縄元記者)