<南風>宮古島 わたしの故郷


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 私の原点宮古島。小学生の頃に所属していた平良市少年少女合唱団で目立たないように隅っこで歌っていた私が、高校卒業後に上京し沖縄文化の魅力に改めて気づき、三線と宮古民謡を習い始め、歌の道に進みました。歌手活動を始めて14年。生まれ島の歌は私を世界に導いてくれました。

 歌の根源は祈りで、神と人を結ぶ手段で呼吸をするように尊いこと。宮古独自のシャーマニズムを身近に感じて育ちました。祈りの歌は世界の民族音楽に共通します。先人が苦難の歴史の中で培ってきた知恵と精神力、環境に順応する力、大地を踏みしめて躍動するクイチャー踊りのように宮古の歌は力強いエネルギーを放っています。

 私は今北京にいます。中国のスケールの大きさに圧倒されながら、歴史の重みを感じています。世界は近くなりました。異文化を知ることで考えが柔軟になり、沖縄や日本、自分自身を見つめ直すきっかけになりました。宮古島の古謡を掘り起こして参加した共同製作のアルバムが台湾版グラミー賞といわれる金曲奨を受賞し評価されたことで手応え感じました。令和の時代はアジアで活動できるよう挑戦していきます。

 生まれ島は私の原動力です。日々の活動が実を結び、育ててくれた島に恩返しができるように、生まれ島と共に選んだ道を歩んでいきます。ミャークヌウングウイツギミマイツムンムチイカッチドゥウムユウ。

 コラム執筆がきっかけで4月に石垣島で開催された八重山在宮古郷友会のイベントで歌わせていただきました。会場は宮古言葉が飛び交い、ルーツである宮古への思いが変わらないことに感動しました。一期一会の心で出会いや経験に感謝し宮古や沖縄の歌を大切に紡いでいきます。コラム執筆という貴重な経験をありがとうございました。たんでぃがーたんでぃ。
(HIRARA(ひらら)宮古島出身歌手)