<南風>梅雨明け


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 「梅雨が明けたね」

 「はぁ?何てぇ?」

 80歳を越えて耳が遠くなった父と母との会話はいつもこの調子。2年前の梅雨明けのその日、これが両親の最後の会話となった。

 久しぶりに青空が広がった気持ちよさに、父はいつもより、長くウオーキングを楽しみ、帰りに自分で買った大好きな牛肉コロッケを自宅のダイニングテーブルで2個たいらげ、テレビを見ながら母と冒頭の会話をし、うとうとしていたのを最後に、あっという間に天国へ旅立った。そんな父を不謹慎だがうらやましいと言った親戚もいたほど、穏やかな最期だと言ってもいいと思う。

 父は話し好きで、よく昔のことを話してくれた。湧き水や井戸を使った話もしてくれたが、特に父が何度も繰り返し話したのは、小学校4年生の時に体験した10・10空襲のことだった。

 那覇市の西町の港の前に住んでいた父が体験した沖縄戦。しばらく辺りを逃げ回り、防空壕に避難したものの、大分へ疎開することになり、出港した船から、かつての自宅の跡を見ると、赤レンガで積まれた水タンクだけがはっきり見えたという。

 空襲のとき、取りあえずトートーメーや大事な物はレンガの水タンクに入れて逃げたけれど、残念ながら何も残っていなかった。それが父から聞いた戦争の最後のエピソードとなった。

 さて、半年間、つたない私の文章を応援してくださった皆さま、ありがとうございます。そして、写真の使用を許可してくださった大平正美さんにも感謝申し上げます。この写真は父が急逝した直後に湧き水の取材で撮っていただいたのですが、不思議とわれながらいい顔をしていると気に入っています。

 つらいときこそ上を向いて…。この写真からそんなメッセージが聞こえてきそうです。
(ぐしともこ、湧き水fun倶楽部代表)