<南風>ひめゆり資料館 開館まで


社会
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 ひめゆり平和祈念資料館の普天間朝佳と申します。ひめゆり資料館のこと、身の回りのことなどを書かせていただきたいと思います。どうぞ、よろしくお願いします。

 ひめゆり資料館は、戦前の沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の同窓会である「ひめゆり同窓会」が、自分たちで資金を出し合い、全国の方々に募金をお願いして建てた資料館です。そのころ、同窓生の多くはすでに60歳を過ぎていました。普通ならリタイアする年なのに、彼女たちは募金と銀行からの借金で資料館をつくり、その後も自分たちの手で運営していくという、常識では考えられないようなことに取り組むことになったのです。

 実際、資料館建設の話し合いが始まったころは、同窓会員から「趣旨には賛成だが、資金造りや運営の面で不安」という声が上がり、同窓会の幹部は建設に消極的でした。しかし、学徒隊生存者の「亡くなったお友達や先生のことを伝えるためにも資料館をつくりたい」という強い希望がその流れを変えたのです。結果的には、1982年6月の同窓会総会で建設が満場一致で決定されました。

 建設が決まってからの同窓生たちの結束は固く、建設資金を集めるために一丸となって奔走しました。街頭に立って募金活動をしたり、企業や各団体を回ったり、最終的には2億円近くの募金が集まりました。

 建設が決定してから開館までには7年の歳月がかかっています。建設場所やひめゆりの塔のガマ(洞窟)にトンネルを掘って展示の一部にするという問題をめぐって、県から認可が下りず難航したのです。同窓会は専門家を呼んで勉強会をしたり、議論を重ねたりしながら、さまざまな課題を解決していきました。

 そして89年6月23日、ついにひめゆり平和祈念資料館が開館したのです。
(普天間朝佳、ひめゆり平和祈念資料館館長)