<南風>「活字」と私


社会
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 私の言葉が初めて「活字」となったのは宿題の詩が冊子に載った中学1年の時だ。

 ただただ楽しかった小学生時代を過ぎ、社会や大人への憤りを抱えていたあのころ。私は怒りを宿題に叩きつけた。今思えば個に埋没した拙い詩であった。

 半年後、クラスがざわついた。校内の広報誌にその詩が載ったのだ。私を盗み見て、次に紙面に目を落とし、再び私をうかがう級友の姿。中には自身の思いを詩に重ね共感する友もいた。私は面映(おもは)ゆく、しかし誇らしく感じた。「活字」の放つ威厳に満ちた普遍の光が、個の先走る拙い詩を2倍にも3倍にも輝かせて見せた。

 大学の文化祭で国文科の仲間と同人誌を作った。30名の国文科で男子は4名のみ。肩身の狭さと反発とを『四人集』のタイトルに託した。粗悪な印字のコピー用紙を閉じただけの簡素な同人誌だった。しかし、当時まだ値の張るワープロによって「活字」へと変えられた私の言葉は、洗練された一節となった。胸が躍った。

 「活字」に心惹(ひ)かれる。それはきっと私の口癖や言い回し、そして文体にまとわりつく“私臭さ”を「活字」が洗い落としてくれるからなのだろう。個に偏る思考・感情が普遍の翼を得て飛び立ち、柔らかく姿を変えながら読む人にそっと舞い降りる。「活字」は本当に大切なものだけを切り取って届けるコウノトリなのだ。思考の卵が届いた後は、読む人がそれぞれに育てればよい。

 縁あって『南風』を担当させていただく幸運を得た。普段の私ならば「私の考えを、私なりの表現で私らしく…」と自己紹介しただろう。しかし、今回は新聞の「活字」が持つ力を借りて、私の思考の芯を伝えたい。読む人それぞれが、自らに引きつけ広げてもらえるならば、こんなに嬉(うれ)しいことはない。
(砂川亨、昭和薬科大学附属中・高校教諭)