<南風>人生とは出会いである


社会
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 私は大学卒業後、仕事を転々としてきました。地方公務員、マスコミ、市役所の嘱託職員…どれも3年と続きませんでした。仕事を変えるたびに、両親からは「何を考えているんだ」と怒られ悲しまれ、友人や知人たちからは「せっかく仕事についたのにもったいない」と呆(あき)れられました。

 あのころの自分については自分でも説明のしようがなく、今思い出しても苦しく、また恥ずかしい思いがよみがえってきます。人から聞かれると、「人生に迷っていた」なんて答えていましたが、本当はそんなカッコイイもんじゃありませんでした。人生に対してしっかりした指針もなく、浅はかで、辛抱が足りない、本当にどうしようもない「モラトリアム人間」でした。

 20代最後の年、このままではだめだ、もうこのへんでしっかりしなければと考えていたとき、ひめゆり平和祈念資料館の職員募集の広告を新聞で見つけたのです。開館の約1カ月前に採用試験がありました。試験は小論文と2回の面接(1回目は元ひめゆり学徒代表による面接、2回目が同窓会役員・建設プロデューサー・顧問税理士らによる面接)でした。小論文のタイトルは「ひめゆり資料館で何を伝えるか」。いろいろ書き連ねた後、最後に「伝えなければならないことは数多くある」と締めました。いい言葉が見つからず苦し紛れの締めでしたが、この人はいろいろとやってくれそうだと好意的に受け取ってくれたのかもしれません。約50人の受験者の中から私を含め2人が採用されました。

 あの時、ひめゆり資料館に採用されなければ、自分はいったいどうなっていたのだろうと時々思います。人生とは出会いであるとも言われますが、私にとってひめゆりとの出会いは、人生とまっとうに向き合う出会いとなったのです。
(普天間朝佳、ひめゆり平和祈念資料館館長)