<南風>家畜と青い性の目覚め


社会
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 クヌウセー ズブムイ シーブリバ ズバシ クーナッカ(この牛は発情しているので、交尾をさせてこなくては)。

 雌牛は、発情するとその兆候として下り物を分泌します。私たちが牛の世話をしていた当時は、それを確認すると直ちに種牛の所に連れて行き交尾をさせたのです。現在は種牛の精液を採取して冷凍・保存し、必要に応じ人工授精士が授精を行なっているようです。

 終戦後の黒島では、ほとんどの家で山羊(やぎ)や牛を飼っていました。山羊は小屋の中での繋(つな)ぎ飼い、役畜用の牛は舎飼いですが、その他の牛は原野での繋ぎ飼いでした。

 山羊と牛の世話は男子が担い、山羊は小学生の役割で、牛の世話は小学校高学年から中学生の分担でした。世話のなかには発情した場合の種付け作業も含まれていました。

 当時、種牛は特定の家にしかいなくて時間を決めて種付けに連れて行ったのです。T家で種牛を管理していたのは一年先輩のG兄でした。種牛は前足を雌牛の背中に掛け、優に50センチメートルはあろうかと思われる、鮮やかな桜色の雄勁(けい)このうえないモノを、雌牛の子宮目がけて挿入し、一瞬のうちにことを済ませます。合体を遂げたあと、雌牛は思いっきり背中を丸め、生命の誕生につながる豪快かつ厳粛な儀式を終えるのです。

 自分の幼いイチモツの異常な反応を自覚したのは、G兄にズボンの膨らみを指摘されたからです。中学校1年生だったか、死ぬほど恥ずかしい思いをしたことを今でも鮮明に憶えています。以後、種付けの場で自分の意思に反して奮い立つわがままなヤツの処置にはかなり苦労しました。

 自ら世話をしていた家畜の交尾をとおして青い性の目覚めを促され、大人への階段をのぼり始めた思春期のころの、なつかしい思い出の一コマです。
(當山善堂、八重山伝統歌謡研究家)