<南風>母の優しさ父の厳しさ


社会
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 イザリ シタカリドゥ マイフナー マリ(叱られ厳しく躾(しつけ)けられてこそ、堅固な人に育つ)。郷里黒島に伝わる諺(ことわざ)です。

 幼少の頃、末っ子の私は母に甘えぐずってばかりでした。すると父は「この甘ったれが、いつまで泣いているんだ」と叱りつけて私を家の外に出し、戸を閉じて内鍵をするのです。泣き疲れて軒下で寝ていると、父が寝た(ふりをした)あとで母がそっと戸を開けて家に入れてくれるのです。父の容赦ない厳しさと慈母の優しさのなかで育った私は、教師にひどいいたずらを仕掛ける相当な悪餓鬼でしたが、女の子に手を上げたりは一切しませんでした。

 長じて高校生のとき、受験勉強に重きをおき、地域の行祭事への参加やファイアストームなどを一方的に禁止した校長に反発した私(たち生徒会執行部)は、校長と全面対決する挙に出たのです。何の処罰も受けずに済んだのは、私たちの行動を支持する教師たちがいて、校長にとりなしてくれたからだったようです。

 沖縄県庁では、大田昌秀元県知事の下で秘書課長や人事課長など、知事の側近で働きました。従来の行政手法に反する指示・命令に対し「行政ルール上できません」と、知事の前に立ちはだかり再三にわたって対峙(たいじ)しました。粘り強く説得すると、最後は渋々ながら折れてくれたのです。

 高校や県庁において、最高権力者とひるまずに向き合えたのは、父の厳しい躾によって、肝の据わった“打たれ強さ”が自然と身についたからでしょうか。

 12人きょうだいの末っ子の私は、老境の父母を引き取り、いまわの際では母も父も胸に抱きかかえて、自宅から旅立たせました。

 今日は盆の送り日、弱い立場の人々に温かい眼(まな)差しを向けるよう導いてくれたイザー、アブー、マイダン、プコーラサユー(お父さん、お母さん、重々感謝!)

(當山善堂、八重山伝統歌謡研究家)