<南風>Myいろは歌


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

明け暮れの空 梯梧(でゐご)萌(も)え
故郷(ふるさと)ゆゑに 澄みぬべし
老いた日や月 責めんより
まほろば沖縄(うちな) 我が胸を

 「いろは歌」をご存じだろうか。同じ仮名を重複させずに全て用いた詩文である。古来より言葉の手習いにおける手本として、多くの人に親しまれている。深い思想と美しい調べの両立は驚嘆の一言であり、触れるたびに感動を覚える。

 しかし生徒にとってはただの古文。無常観ってナニ? 古びた詩なんて学ぶ必要ある? 刺激的な言葉に慣れた生徒の顔に“ウザい”の文字が見え隠れする。

 私は淡々と知識を授ける。時代背景、言葉の意味、全体を貫く主題…。欠(あ)伸(くび)を噛み殺す彼らに、私は最後にこう告げるのだ。「さあ、“Myいろは歌”を作ってみようか」

 ザワザワ…驚きと期待が広がる。熱量が上がる。本当の学びには敏感な彼ら。この瞬間が私は大好きだ。

 作り出した途端に生徒は愕(がく)然とする。とてつもなく難しい。進むほどに使える仮名が減り、身動きがとれない。文として成立させるのも一苦労だ。ましてや詩全体が意味を持ち、更に思想を込めるなどとてもとても…。生徒は途方に暮れる。彼らはここで初めて「いろは歌」の時代を超えた偉大さを体感する。光を湛(たた)えた言葉の芸術に畏れを抱く。

 「新しい学び」「主体的な学び」。今、教育の世界は何かと慌ただしい。しかし生徒の輝く瞳を見るための、教師の試行錯誤は今も昔も変わらない。いたずらにお題目を恐れる必要はない。日々の指導を磨き続けることが大切なのだ。

 ちなみに、冒頭の詩は私のMyいろは歌である。完成に三日も費やした。もちろん、生徒の作品は説教臭い私の駄作よりもずっとユーモアとセンスに溢(あふ)れていたことを付け加えておきたい。皆さんも一度、挑戦してみてはいかがだろうか。
(砂川亨、昭和薬科大学附属中・高校教諭)