<南風>小さな成功体験


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 東京に住んでいた頃、22歳の私はなかなか理想の環境に身を置くことが できませんでした。職場のペースについていけない、標準語でスラスラ話せない、親しい友達ができない、お金も無いし着たい服が着られない、無い無い無いづくしの私は、巨大な迷路に迷い込んだような精神状態で、落ち込む暇もなくただ働いていました。

 そんな時、ひょんなきっかけでガーナ人が90パーセントという職場で働くことになりました。

 そこでは、「明るい日本人が来た」という感じで迎えてもらい、しかも「日本語がちゃんとできる人」というタイトルまでついてしまいました。

 笑い話として捉えてくれる方も多いのですが、この体験は私の人生を大きく変えた出来事でした。

 もともと吃音(きつおん)症の私は、電話を取ったり、マニュアルを読んだりということが苦手で、昔から周囲に笑われていました。でも、その職場は「日本語」で電話対応ができるのは私しかいないので、私がたどたどしく話していても周りの人はわからないのです。私は、周りを気にせずに電話で話すことに慣れていきました。

 その職場がきっかけで、私は徐々に東京で仕事をすることに自信が付き、人に必要とされるという成功体験を得ました。それからは、自分らしく東京で生活できるようになり、たくさんの友人に囲まれ、仕事の幅が広がり、視野を広げることができました。

 何をやっても上手(うま)く行かない、馴染(なじ)めない、八方ふさがりだと感じている方には、思い切り環境を変えることをお勧めしますが、それを海外ではなく日本でできるなら、多くの人の可能性が開けると思います。

 近年、ダイバーシティーが課題になっていますが、私は自身の体験からダイバーシティー推進を心から望んでいます。
(呉屋由希乃、社会起業家)