<南風>泳ぎの過酷な速成訓練法


社会
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 黒島には、糸満をはじめ沖縄本島の各地からの漁民が寄留して形成された漁師村(伊古)があります。終戦直後の昭和25年ころまでは、「イチュマンウイ(糸満売り)」と呼ばれる人身売買があり、網元には小学校に通うべき年齢の子どもたちが何人もいて、学校に行かず漁に従事していました。

 それらの子に泳ぎを教えるには、足のつかない海に放り投げ人為的に「溺れさせる」のでした。ところがどっこい、その子は顔を海面に浮かべ必死に手足を動かし、いわゆる犬掻(か)きの立ち泳ぎで踏ん張るのです。2、3分で船に引き上げ、しばらくすると再び海に放り投げます。同じことを何回か繰り返すうちに、その子は自力で泳いで船に辿(たど)り着くのです。一見残酷な感じもしましたが、手品のような不思議な光景でした。

 このような荒っぽい訓練で注意すべきは、溺れかかった子を助ける場合、絶対に正面から向き合わないことです。溺れかかった子は助けようと近づいてくる人に必死でしがみつくからです。その子の横または後ろからそっと抱きかかえること。前面から抱きつかれた場合、その子ともども海底にもぐること。苦しくなったその子はあわてて海面に浮上するので、先ほどの要領で抱きかかえて救済するのです。そのような場面での対応も実に巧みでした。

 現在、人身売買はすでに無く、前記のような泳ぎの訓練法も今なら間違いなく「虐待」とみなされるところですが、人身売買の裏には、想像を絶する過酷な事実が厳存していたのです。

 ところで、子どものころもっとも恐怖を感じた言葉は、「イチュマンウイ(糸満売り」と「ハシガクミ(麻袋籠め)」でした。前者については隣の村にそういう人たちが実在していたし、後者については麻袋に籠(こ)められ庭の木につるされた体験から、両者の恐怖を強烈に実感できたのです。
(當山善堂、八重山伝統歌謡研究家)