<南風>あとからわかる。

 即興演劇(インプロ)で、役者はスポンテイニアスであろうとする。自然発生的と訳される概念で、ふと思いつくこと、自然に動く身体、衝動にしたがうこと。

 それは意外と難しい。考えてから動く、自分で検閲して喋(しゃべ)る、そういう振る舞いを大人はする。そのように育てられる。そこから自由になるのは、難しいのだ。

 一度、東京で受けたワークショップで、ああこれなんだと感じたことがある。

 ペアで、一人は喋らないという約束ですすめたシーン。相手は若い女性で、喋らない方を選んだ。押し黙る彼女は子どものように見えた。「座って」と促すけど、そうしない。「今日からここはあなたの家よ」と言う。少女は、多分、5歳くらい、扉を開ける仕草をした。「そう、冷蔵庫のなかも、みんなあなたの物よ」と言う。なかの物をぶちまける。ふいに涙が出る。私は片付ける。少女は暴れる。私は声をかける。少女は何も言わない。私は、「私だって望んでない!」と声を荒げた。言ったあとでわかる。夫が勝手に養子縁組を決めてきた、慈善アピールのためで、本人は今ゴルフに行って家にいない。そういう人だ。私は寂しい。少女と掴み合いながら、「望んでない!」と言った。失言だ。でもそれで、少女の気持ちが動く。支配しようとする人と支配されたくない人から、ただ、孤独な二人がいるだけに変わった。「ここにいて」と私は言った。少女は私をじっと見たあと、こくりと頷(うなず)く。

 短いシーン。台詞(せりふ)も少ない。その間、ずっと体が動いてからその理由がわかり、喋ってから背景がわかる。自分がどのような自分であるかを行動が教えてくれる。悲しみを知る前に、涙が滔々(とうとう)と流れた。感情を言語化する前に身体がそうなる。空っぽになることで満ちるような時間だった。

 10月の満月即興は5日、わが街の小劇場で。
(上田真弓 俳優、演出家)



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