コラム「南風」 目取真俊さんの誠実


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 2002年12月27日、松井やよりさんが逝去された。翌03年3月、遺著『愛と怒り 闘う勇気』が岩波書店から出版となった頃、私は松井さんの妹さんから職場に電話を頂戴した。

 「姉は病床で執筆を続けながら、あなたのことを心配していた。枕許(もと)にあなたからもらった手紙などをいつも置いていて、病床で執筆ができるのも、柴崎さんがこの本を企画し作業を進めていてくれたからで、とても感謝しているとよく口にしていた。遺族としてもお礼を申し上げたい」
 電話を切った後、こらえきれず私は泣いた。何と無力で惨めな編集者であったことか。職場の自席で声を出して泣いたのは、これが最初で最後となった。
 この事件の一連の過程で、だらしなくも私は心身ともに衰弱し、仕事も手につかなくなってしまった。無能な社員と烙印(らくいん)を押され編集部を追い出されることになったが、幸い引っ張ってくれる人がいて、単行本(新書)編集部に異動した。
 仕事の借りは仕事で返すしかない。体調の悪さからして自分の「選手生命」は長くなかろう。時は小泉政権下。米国の凶暴な傀儡(かいらい)政権を庶民が熱狂的に支持する倒錯(とうさく)した時代。大手中堅出版社が日和見(ひよりみ)の中、私如き壊れた編集者こそが時勢の奔(ほん)流に杭(くい)を打ち込むような本を出さなければ。
 そんな私が出すべき最初の本は、小説や評論を愛読していた目取真俊さんの著書以外考えられなかった。『沖縄「戦後」ゼロ年』。目取真さんがつけたこの書名は、琉球沖縄にはいまだ「戦後」がなく、米軍の占領は今も続く現実を端的に表現する。「戦後60年」の05年8月に出版した本書は「沖縄県内ベストセラー」となった。それは、沖縄戦体験者を親に持つ世代の一人としての責任を背負い、誠実に言挙(ことあ)げをした目取真さんへの「県内読者」からの賛辞にちがいなかった。
(柴崎成実(しばざきなるみ)、編集者)