コラム「南風」 「親になる」ということ


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 長い間、教師として多くの子どもたちに接して気付いたこと。それは就学時の子どもたちの大きな学力差である。聞く力やコミュニケーション能力など基礎能力の差が、小学校入学時には、既に6歳あるといわれる。したがって、小学1年生は、上は9歳から下は3歳児のレベルの子が混在しているようなものである。このような状況が学級経営を難しくする「小1プロブレム」の一因にもなっている。

 なぜそのような差が出るのか。親としての自覚の差と子への接し方の違いではないだろうか。子どもの潜在能力が違うはずはない。
 教育は母親の胎内から始まる。そして、生まれてからの親、兄弟、祖父母など身近な人のさまざまな接触の仕方がその子の人格形成に大きく影響する。子どもの人格はこの時期に決するといっても過言ではない。
 子育て中の親は大げさでなく「人間づくり」をしている。だから、愛情深く、心してわが子と接していただきたい。ゆめ、お乳を飲ませながらテレビを見たり携帯電話を操作したりしてはいけない。「おいしいね。たくさん飲んで大きくなってね」とか、服の袖を通す時も「右手から、次は左ね」などと声をかけながら行う。乳幼児だからと赤ちゃん言葉を使わず、平易な親自身の言葉で話すことが大切だ。学力の土台である言語能力は、この時期、親によって育まれるからである。
 「遊ばせる」ことも体力や集中力を培うことから重要だ。特に、集団での遊びは人との関わり方や規範意識を高めるとされる。「よく遊び、よく学べ」といわれるゆえんである。
 ユダヤ人の父親は乳飲み子を膝に乗せ、聖書を子守歌として聞かせ、蜂蜜をなめさせてから寝かせつけるそうだ。子どもは本が大好きになる。ノーベル賞受賞者が多いのもうなずける。子育ては両親の自覚と愛情が両輪となって成就する。
(知念春美(ちねんはるみ)、前普天間第二小学校長)