コラム「南風」 宇井純さんと小田実さん


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 目取真俊さんの著書『沖縄「戦後」ゼロ年』(生活人新書)を編集していた2005年、私は長年の憧れの人である宇井純さんと小田実(まこと)さんに本の執筆依頼をした。

 「原子力ムラ」なる言葉にならえば、お二人は「公害ムラ」や「安保ムラ」の住人にとって不愉快極まりない人物だろう。だが環境破壊と侵略戦争が大手を振ってまかり通るこの時代に、お二人が何を考えておられるのか、私は聴いてみたくて仕方がなかった。
 05年、沖縄大学名誉教授の宇井純さんと私はお会いした。東京のご自宅を訪れると、柔和な笑顔で迎えてくださった。話は弾み、脱公害型環境優先社会への原理と方法論を執筆していただくことになった。「広告チラシの裏に原稿を書きます」とおっしゃった。
 しかし無情にも翌06年に宇井さんは病没された。私は遅すぎたのだ。告別式には大勢の人びとが詰めかけた。享年74。私は棺の中の宇井さんのお顔に、ただ詫(わ)びるしかなかった。
 兵庫県の作家・小田実邸を初めて訪問したのは、同じく05年だった。語り下ろしの本を編集するべく、以後10回ほど通い、ゲラを作っていった。殺し殺される戦争のむごたらしい連環を、小さな人間にすぎない市民が断ち切る原理と方法は何か。「行動する作家」として名高い小田さんの豊かで芯の強い思想と行動が次々と活字になり、実にやりがいのある仕事となった。
 ところが発行も近い07年3月、小田さんに末期がんが発見された。ここからの作業は誠に苦しかったが、宮古島出身の編集者で株式会社ライズ社長・本村直也さんにもお力添えを仰ぎ、6月の校了に間に合わせた。書名は『中流の復興』。ホスピスに入院中の小田さんへ見本を持参すると、とても喜んでくださった。
 小田さんは翌7月に永眠された。享年75だった。
(柴崎成実(しばざきなるみ)、編集者)