コラム「南風」 日本語と沖縄語は姉妹語


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 現代日本語ではもう使われなくなっている「黄金(こがね)」「商(あきな)い」「去年(こぞ)」などの和語は、沖縄語では「くがに」「あちねー」「くじゅ」として健在で、しかも規則的な音声対応がみられる。それでも、本土方言はこれまでの日本語の移り変わりとの連続性がみられ、古い日本語とは親子関係が認められる。

一方、沖縄語(うちなーぐち)の場合、基本的には千年以上も前の日本語としかつながらない。その結果、英独語の場合と同様、沖縄語と日本語は姉妹語の関係にある。
 それで、琉球諸語間で発達した語彙(ごい)群があり、「てぃーだ」〈太陽〉、「ちねー」〈家庭〉(八重山では「てぃだ」、「きない」と言う)などがある。
 日本語とは違う独立言語なので、たとえ音声対応があっても、生活に身近な語彙にさえ“もの”や“動作”をどのように切り込むかに基本的な違いが出てくる。沖縄語では、たとえ窪地(くぼち)であっても〈木が生い茂った所〉は「やま」である。沖縄語の「杜(むい)ぬ湧水(かー)」(羽衣伝説発祥の地)は「森の川」ではない。さらに、「なーだ をぅとぅ むたに?」は〈まだ夫はいないのか〉、「っくゎ むっちょーみ?」は〈子を宿しているか〉だが、日本語では「夫を持つ」とは言わないし、「子を持つ」にはそのような意味合いはない。また、「をぅとぅ むっちょーみ?」は言えても、「とぅじ むっちょーみ?」が言えないのは、「むちゅん」の原義が〈内から支える〉だからである。
 それに、「命(ぬち)どぅ宝」は戦争体験や周辺の軍事基地と、「行逢(いちゃ)りば兄弟姉妹(ちょーでー)」は模合などの助け合いの精神「ゆぃーまーる」と密接に結び付いて、言葉の精神世界の一部を創り上げている。それで、単なる日本語による置き換えではほとんど意味をなさないという関係になっている。
(宮良信詳(みやらしんしょう)、琉球大学名誉教授(言語学))