コラム「南風」 歌え、響き合え。


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 詩や文章を書くことは孤独な作業だ。兼業詩人の私は、仕事が終わってへとへとの状態で、夜中からパソコンに向かうことが多い。時には休日に楽しそうな宴のお誘いを断って、書く時間に充てることもある。他の人が眠っている時、宴を楽しんでいる時、私はひとり言葉と格闘している。

 だからひとりではできない物事に、とても興味や憧れがある。そうして私は音楽の世界に足を踏み入れるのだ。
 一昨年の夏から、昨年の春まで私は合唱に取り組んでいた。昨年1月にはベートーベンの「第九」を、3月には宮良長包作品を歌う合唱祭に参加した。
 「第九」を歌うのは初めてのこと。何となく選んだソプラノの音の高さに青ざめ、なおかつドイツ語の歌詞を暗譜なんてできるのか不安だった。オーケストラと合わせて練習したのは本番前日。さまざまな世代の人々と声を合わせ、オーケストラとひとつの音楽を奏でる。間近でオーケストラの繊細で深い音に包まれるのは心地良い。決してひとりではできない、たくさんの人の力が合わさるからこそできることに感動した。
 次に取り組んだ宮良長包の曲たち。それまでぼんやりと聴いていた「えんどうの花」を、実際に自分で歌ってみると、歌詞に感情移入し、心が揺さぶられる。表情豊かなメロディーや、その世界観を大胆に表現するアレンジ。合唱に取り組むたびに自分の世界が広がる。
 合唱を始めたのとほぼ同じ頃、ゴスペルチームにも加入した。こちらは現在も活動を続けている。メンバーの才能とその調和にいつも驚かされている。平日の夜にある練習に毎回行けるわけではなく、ついて行くだけで必死だ。
 昨年末には会社のバンドにも参加した。歌い演奏することが、書くことに対して良い刺激を与えてくれている。
(トーマ・ヒロコ、詩人)