コラム「南風」 ああ懐かしの「カフェコザクラ」


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 ホテルから徒歩3分の所にコザクラというカフェがあった。訳あって現在は休業中である。オーナーは鈴木昌子氏と言い、元自衛官でモノカキ。インテリと筋肉としぶとさを重ねもつ真に興味深きご麗人である。

 客層は医者や学者のような知性派から、われわれの如(ごと)き怪しげ商売人、公務員、流れ者までさまざまであった。小汚い椅子に腰かけて文壇バーよろしく文化人を気取り、夜な夜なおのおの持論を展開する。愛すべき似非(えせ)インテリたちにとって至高のひと時であった。
 彼らに共通するのはみな地元コザをこよなく愛していること。そして話題の中心は常に、わが町コザへの熱き思い。住みよくするには? もっとたくさんの人に来てもらうには? いわゆる街の活性化というやつ。深夜丑(うし)三つ時に、充血した目を爛々(らんらん)と輝かせ口角泡を飛ばし議論する老若男女は、その気迫に酒の酔いも手伝い鈴木女史を中心に「コザ漫遊国」なる最強のブロガー集団かつコザ応援団を誕生させる(現在休眠中)。ある時は岡山の倉敷の音楽祭に請われ、エイサー隊を派遣し、沖縄料理も出店して完売するほどのテキ屋ぶりを発揮。一方でメンバーを中心に沖縄市の兄弟都市の大阪豊中市や、お隣の国台湾との音楽や文化を通した交流の外交的手腕は大いに評価された。
 街づくりや観光の形はさまざまである。施設や資源を武器に人を呼び込み大量の消費や雇用を生み出すのも有益な方法であろう。半面、人と人が交流という形で行き来し、知と利を得るのも新しき街づくりの在り方だと考える。
 漫遊国創設者の一人である先述の鈴木氏が、最近不穏な動きを見せている。勝手な想像だが、コザクラ復活の兆しがあるのでは? 漫遊国残党の皆さん集え! 今こそ蜂起すべき時が来た。コザの歴史は夜更けのコザクラでつくられる、かも。
(宮城悟、デイゴホテル社長)