コラム「南風」 東日本大震災から3年


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 間もなく東日本大震災から3年になります。想像を絶するカタストロフによって、多くの日本人の運命が変わりました。しばしの茫然(ぼうぜん)の後、まず被災地の人々が復興に向けて団結する様子に励まされ、止まっていた時間が再び動き始めたかのようでした。

 震災から1カ月が過ぎたころのことです。私は支援のため石巻で活動していましたが、お話を伺がった70代の女性が「4歳の孫が海にいるので早く見つけてやりたい」と言っておられました。そのとき私は「そうですね。早く見つかるといいですね」と表面的に返事をしました。しかし、それから女川へと車を走らせながら海を見ていると、なぜか涙があふれてきました。
 この海の底には、今も多くの子どもたちが沈んでいるのかもしれない。私にも同じ4歳の子がいましたが、彼が海にのみ込まれたら、きっと海の底で遊び続けているだろうと思いました。死んだことに気付けないまま、ただ永遠に、海の底で遊び続けるのでしょう。どうして母親が迎えに来ないのかと、不思議に思うこともあるかもしれません。肉体を腐らせながらも、健全な幼い魂は、寂しい気持ちを振り払うように遊び続けるのでしょう。
 だから、もし私の子どもが海にのまれたら遺体を探し出し、何が起きたのかを教えてあげたい。それを親として果たしてやらねばと思いました。
 これは理解できない唐突な死について、遺族が抱く共通の感情なのかもしれません。生存の領域に残された人間は、生き続けることへの積極的な意味を、他者の死から読み取らねばならぬからかもしれません。
 3年目という節目において、私たちは立ち止まって犠牲者を弔うことになります。今も遺体を捜す家族がいるそうです。しっかりと被災地を見据えて、語り継いでゆきたいと思います。
(高山義浩(たかやまよしひろ)、県立中部病院感染症内科地域ケア科医師)