コラム「南風」 人にとって言葉とは何か


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 人が集まるところには必ず言葉があり、言葉をもたない人の集団は存在しない。人だけが生まれながらに言葉を話す能力を獲得している。

 地球上のどの生き物も生まれながらに獲得した能力のおかげで生存競争に勝ち残っている。渡り鳥は寒さを逃れ、餌を求めて何千キロの長旅をする。自然界から時節を読み取り、飛行の際に地球の磁気を感知できる能力は生まれつきのものである。サケは産卵のために元の河川に戻ってくる。そのためには潮流や海水温などの細かい情報を感知するセンサー、その情報に基づく航海地図の作成、それを記憶して必要な時にいつでも取り出せる能力が脳の中に準備されていなければならない。クモも誰からも教わることもなく網目の巣が張れるので、餌を確保でき、生き永らえる。このような生まれつきの能力は生存に不可欠であり、わずかでも不完全であればすぐ死につながる。
 しかしながら、空も飛べない、自由に海も回遊できない、地上においても他の動物のようには速く走れない人にとって、生存に不可欠な能力とは何か。それが言語能力である。人は自然環境に適応するために道具を発明したが、言葉はまさしく人が社会生活を営むために必要な道具である。生存に必要な技術や道具は言葉により受け継がれ発展し、現在の飛行機、船、車はもはや他の動物の能力をはるかに凌(しの)いでいる。さらに、言葉を通して生きる喜びやその意味を追求し、芸術や哲学にまで高める。
 人は幼児期であれば、周囲で話されている言語が何であろうとも、その言語をいつの間にか操れるように生まれついている。音声言語のみならず、手話や点字を自然に創り出すのも言語能力がなせる技である。
 以上のように、言葉を操る能力は生活よりも生存と深く関わっている。
(宮良信詳、琉球大学名誉教授(言語学))