コラム「南風」 哀愁のB級ホテル(4)=斜陽


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 ウチナーンチュが本土復帰によって沖縄県民と呼ばれるのに慣れ始め、観光立県としての道を歩み始めたころ、わがB級ホテルが黄金期を迎えたことは前回書いた。アメリカはベトナム終戦によって、歴史的に深い傷を負いながらも長かった呪縛から解き放たれ、若者たちは徴兵と戦争の死の恐怖におびえることもなくなり、行楽やショッピングを楽しむ姿が目立ち始めた。彼らもまた平和という空気を胸いっぱいに吸い込み体中で満喫していた。

 わがB級ホテルも平和がもたらした米兵の家族単位での移動を当て込み、家族部屋を増築し、これが高稼働率維持の原動力となった。わが業界もあえて観光客を相手にするよりは、今まで通りに米兵中心の宿を運営した方がはるかに実入りの良いことを体現的に知っていて、まさにわが世の春を享受することになる。
 しかし、幸せは長く続かなかった。1980年代後半以降米軍人軍属の稼働率が見る見る低下していく。調査をしたところ、米軍運営の基地内ホテルを増築したという。さらにこれから数年かけて100室単位で大型化する予定だという。これでは民間のホテルは必要なくなる。しかも発注者は防衛施設庁。つまり米軍側としては軍人の宿泊費を支払うよりも、思いやり予算で日本政府にホテルを建設させ軍雇用員の給与を負担させる。そして工事は本土のゼネコンが公共工事の名の下に請け負い、県内下請け業者の雇用が発生する。
 不利益を受けるのは弱小米軍専属ホテルのみ。その後のわが業界の凋落(ちょうらく)ぶりはすさまじく、転廃業が相次ぎ生き残ったホテルはわずか数軒。いくら理不尽だと声を荒らげても、この場合利益を得る側が圧倒的多数派である。私は、関係団体に必死に陳情するも相手にされない少数弱者の悲哀を痛感し、「将来の自立」という言葉を魂に強く刻んだ。
(宮城悟、デイゴホテル社長)