コラム「南風」 新天地


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 目標達成し充実した高校生活を送っていた私は、高校卒業後の進路について考える時期にきていた。新たな道を模索していたある日、英語の授業で「ウィ・アー・ザ・ワールド」という歌のミュージックビデオを見る機会があった。アフリカで貧困のため、飢餓や病気で苦しんでいる人たちのために米国の著名なミュージシャンが結集し曲を作り、歌い、その歌の売り上げ全てを寄付するというチャリティーソングビデオである。

 「歌の持つ力」の偉大さに感銘を受け、自分のことばかり考えず将来、人の役に立つ仕事に就きたいと思い、福祉大学への進学を決めた。
 名古屋から電車で1時間程離れた海沿いの町に大学はあり、初めての1人暮らしが始まった。駅を降りると、のどかな風景が広がっていた。大学へは自転車で通い、夜になると田んぼのあぜ道に街灯がポツリポツリとともり、初めて聞く牛ガエルの鳴き声に驚いた。
 大学生活では新たなことへ挑戦し、サークルは空手部ではなくビーチバレー部。週1回の販売員アルバイト、「強い女の子」のイメージからの脱却を目指し、おしゃれにチャレンジ。沖縄から遠く離れた大学、地元の方には会わないだろうと思っていたが、大学には県人会がありたくさんの県出身者と出会った。沖縄にいたころは、空手以外の沖縄の文化に触れたことはなかったが、大学祭でエイサーを踊りサーターアンダギー作りを体験し、まるで沖縄にいるようだった。
 大学生活にも慣れた2年生の夏、自分の写った1枚の写真を目にした瞬間、愕然(がくぜん)とした。新しい出会い、挑戦、学びとそれなりに充実した日々を過ごし、高校時代よりは成長しているつもりであったが、自信に満ちあふれ、生き生きとしていた高校時代とは全く違う、理想と懸け離れた私がそこに写っていた……。
(豊見城(とみしろ)あずさ、劉衛流あずさ龍鳳館館主)