コラム「南風」 音声情報


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 呼吸は鼻から吸って鼻から出すが、出す息の流れを呼気流と言う。一般に、呼気流を鼻ではなく口内に呼び込んで音声にする。音声をつくるには、舌の位置を変えながら、呼気流を遮断し破裂させたり、摩擦させたり、喉にある声帯の振動を加えたりするが、呼気流をいったん口内に呼び込んでから鼻から出すこともある。

 X線撮影でみると、音声をつくる際の舌の動きは驚くほど活発で、いかにも熟練した軽業師のような身のこなしである。
 音声を出している時には呼吸はお預けにして、息つぎをしてから語句をつなげている。そのため、息を吸いながらは話せないし、逆に話しながら息は吸えない。
 その音声のつながりは規則的に概念的な意味に変換される。その他にも無数の情報を伝えている。例えば、しまくとぅばを一言二言耳にするだけで、その人の“しま”(古里)までも分かる。電話で「もしもし」の一言を聞くだけで、相手が誰なのか、さらに相手の表情までも推測できる。人は音声を物理的な音として聞くだけでない。それが使われる場面や背景までも同時に取り込んで、音声情報の一部にしている。
 同様な例をもう一つ。戦争体験があまりにも悲惨なために、誰にも話さずに自分の胸にだけ秘めて墓場まで持って行こうと決心していた。それでも、しまくとぅばで戦争体験を聞かれたことで、きつく閉ざしていた心の扉が不思議と自然に解き放たれ、一挙に戦争の情景が映像のように脳裏に映し出され、いつの間に堰(せき)を切ったように悲惨な体験を口にしてとどまることがなかったという。日本語による聞き取り調査からはそういうことが起こることはなかったのに。このことは、戦争体験の記憶がしまくとぅばでつづられている証拠であり、しかも映像化された世界までも呼び起こしている。
(宮良信詳、琉球大学名誉教授(言語学)