コラム「南風」 虫の命は好きですか?


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 愛について詳しくはないけれど、何がなんでも自分の物にしたい愛もあれば、相手の幸せを願う愛もあるようです。大好きな昆虫を自分の手元に置いていたい、できるだけ数多く。それも愛。昆虫たちに自由に自然の中で生きていてほしい、そのために何をしてあげられるのか。これも愛。

採集で数が減らなければ問題ないと、命を物として扱うようになり、法に反していなければ何をしてもよいと開き直る。それも愛。自分の目で見えない場所の命を想像し、その場所を守ろうとする。これも愛。楽しいことだけやっていたいから環境破壊で虫が死ぬことには目をつぶる。それも愛。楽しくはないけれど手弁当で自然保護。これも愛。自然保護の話をしなければみんな仲良くハッピー。それも愛。愛する者を守るためなら同じく昆虫愛好家を名乗る者とぶつかることをいとわない。これも愛。自分の標本箱に昆虫の死体が多く詰まっていることを好む。それも愛。地球に昆虫の生命があふれることを望む。これも愛。
 その違いが何なのか分からないから、取りあえず私は恋と愛の違いだと思うことにしています。採集者がいるから自然の変化に気付くことができるという人もいるけれど、素人にも自然環境が危機的だと分かる現代、採集者は今何をしているの? 昆虫採集が時に悪として扱われることを嘆くのはいいけれど、その理由を忘れてはいけません。世の中には既に昆虫の標本があふれています。研究や教育を伴わない標本は持ち主がいなくなった時、行き先を失い、ごみになる可能性があります。自然の残り少なくなった今、ある程度の経験を積んだ大人の昆虫採集は、研究や教育のために必要な数だけを採集してほしいと考えます。命がごみに変わることのないよう、昆虫の好きな人々の恋がいつか愛に変わりますように。
(宮城秋乃、日本鱗翅学会自然保護委員)