コラム「南風」 遅咲きの早生まれ


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 4月1日は私の誕生日。この年になると思い入れは別段ない。しかし幼いころはよく「四月ばか」とからかわれた。早生まれだったからか同級生に比べぼんやりした子で運動神経が鈍く精神的にもかなり幼かった。

友達と同じことができない。1年後に友達の言葉の真意を知り、自分の物分かりの悪さに赤面することが多々あった。背だけは高かったのでコンプレックスが膨らみ、恥ずかしくて出来損ないに思えてならなかった。姿勢を悪くし眼鏡のバリアーの奥に自分を隠した。自意識を伸び伸び出せるのは競争の恐怖がない、表現の時間。作文や絵画は正解も順位もない。誰かに迷惑を掛ける心配もない。必然的に国語と美術だけが得意教科だった。
 文章を書く時はあえて旧姓にしている。今の名字も大好きだが旧姓は長年使っていた愛着がある。そして何よりあの自信がない時代からの私であり、その時「あなたの文章面白いわね」と勇気づけてくださった先生に気付いて読んでいただきたい。大好きな先生の存在は書くきっかけであり動力になっている。つらく苦しい時、それは私を癒やした。絵や文を書くとすっと気持ちが落ち着き整理される。反芻(はんすう)し表出することは私にとって自らを引き出す大切な昇華であった。また、今回紙面で書く機会をいただき新しい広がりと魅力を知ることができた。深く感謝している。
 保育士をしていたころ、園児の誕生日に写真と手形を1枚の紙にかわいらしくまとめ保護者にプレゼントした。そして小さく「誕生日はお母さんも頑張った日」と書き添えた。子育てに忙しい保護者はその言葉をとても喜んでくださった。ことしも母に感謝の言葉を伝え誕生日を過ごそう。ちなみに今では同級生の中で一番最後に年をとるので大変うらやましがられる。年に磨かれる大人になりたい。
(國吉真寿美、夜カフェ「rat&sheep」経営者)