コラム「南風」 人生の分岐点


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 「目は口ほどにものをいう」ということわざがあるが、写真に写っていた私の表情は、心情を映し出していた。充実した大学生活を送っていると思っていたが、写真からそう感じることはできなかった。

 高校時代と違う点はどこなのか、自問自答の日々を過ごす中、一つの答えにたどり着く。違う点は生活から「空手」が消えてしまったことである。空手は私に自信を持たせてくれる唯一の「自己表現」であった。
 内から湧き出る自信を取り戻すため、空手を始めたいと思い、空手部や道場見学に行った。しかし、見学をするうちに佐久本先生や先輩方から教わった空手を再び学びたいと思うようになっていった。狭い部屋の鏡に向かい基本や形のまね事を繰り返したが、満足のいく稽古ができる訳でもなく、なぜかもどかしく、もやがかかったような心境であった。
 いよいよ卒業を数カ月後に控えていたある日のこと、私の人生を大きく変える一本の電話が鳴り響いた。電話の声はどこか懐かしい声であったが、一瞬にして緊張に変わり、電話の前で直立不動の姿勢になった。声の主は高校の恩師「佐久本先生」だったのである。
 1997年、沖縄県立武道館落成記念事業として「沖縄空手・古武道世界大会が開催されるが、出場してみないか?」と声を掛けていただいた。高校卒業以来、4年間空手から離れ「できるかな?」と不安が頭をよぎったが、その言葉を打ち消すように脳裏に浮かんだ言葉は「チャンスだ!」。
 再び空手を始めるチャンスが巡ってきた。このチャンスをつかまなければ、空手の世界に戻ることは、またとないであろうと思い「ぜひ、出場させてください」と返答した。
 人生には幾度かの分岐点があるが、この時の決断が人生を大きく左右する分岐点になった。
(豊見城あずさ、劉衛流あずさ龍鳳館館主)