コラム「南風」 哀愁のB級ホテル=富はどこへ?


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 1960年から80年初頭にかけてのコザはセンター通りとゲート通りの2本のストリートが米兵専用の歓楽街であった。

 戦地ベトナムへ赴く兵隊たちの発散の場として、週末やペイデイ後は昼夜とも米兵が街にあふれ、酒と薬に浸された兵士たちが危険でよどんだ目で街をふらつく。大量のドルが散財され、大量のモノが流通し消費された。繁忙ぶりたるや異次元の領域であった。ステーキソースや香辛料の香りが漂い、わいざつで怪しくも赤いネオンが目にまぶしい魔宮の宴を醸し出していた。街がドル箱であった。
 1000ドルで一軒家が建つ時代に、一晩で1000ドル売り上げた飲食店の話や、キャバレーの売上代金が店のレジスターには収まりきれずに、南蛮ガメに無造作に放り込みそれでもあふれる紙幣を足で踏みならし収めた話など、まことしやかに聞こえてきた。
 歓楽街で集金されたドルは周辺商店街にも流通しコザの経済を支えた。基地周辺の商売人は子供らを本土の私立中学へ進学させる経済力を有する者も多かった。家にプールがある。別荘を持っている。自家用で高級外車に乗っている。東京にビルやアパートを持っている。桁外れの小金持ち?がウヨウヨいた時代である。
 70年代後半からは、かつてすご腕をふるったコザの顔とも言うべき経営者たちは、平和がもたらしたベトナム景気の衰退とともに徐々に姿を消していく。もちろん蓄財に励み現在でも裕福に過ごしている人も少なくはないが。米兵相手の商いが専門のコザの商人たちは押し寄せる時代の波に乗れずに、身の丈に余る投資や慣れない商売に手を染め、好景気で積み上げた膨大な財産を放逐していった。
 70~80年代はまさに戦時下の景気は長続きしないという教訓とベトナム戦争のもたらした景気終焉をはっきりと告げた時代であった。
(宮城悟、デイゴホテル社長)