コラム「南風」 負けからのスタート


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 再び空手を始めるチャンスを得て、沖縄空手・古武道世界大会出場を目標とした私は、県代表選手枠を勝ち得るため、1996年11月沖縄県代表選手選考会に出場した。

 成年女子形エントリー選手は22人、2コート、11人ずつに分かれ上位5人の選手が決勝リーグ戦に進むことができる。エントリー選手名簿には、県チャンピオンでナショナルチーム所属の名渡山選手や高校の先輩である佐和田香織選手をはじめ、懐かしい方々の名前が並んでいた。
 久しぶりの大会は、極度の緊張に襲われながら始まった。どのように演技したのかさえ思い出せないほどであったが、失敗することなく試合を終え、予選リーグ上位5人に残り決勝リーグに進むことができた。
 決勝は日をあらため1週間後に行われた。上位3人の枠に入ることができれば世界大会に出場することができるのである。
 決勝戦の日、予選の日よりは幾分か落ち着き試合に挑むことができた。いよいよ結果発表の時、祈るような気持ちで上位3人の中に自分の名前が呼ばれる瞬間を待った。
 1位・2位と発表され、あと1枠を残すところとなった…目をつぶり名前の呼ばれるのを待ったが、私の名前が呼ばれたのは、出場枠外の4位。目標にあと一歩及ばなかったのである。
 4年間のブランクはやはり大きく「勝負の世界はそう甘くない!」ということを再認識させられた結果となった。
 97年8月、沖縄空手・古武道世界大会は、会場である県立武道館アリーナに世界48カ国から参加した空手愛好家1332人が集い華々しく開催された。
 初めて見る世界大会、その熱気に圧倒されながらも、出場することができなかったという思いは、空手への情熱をさらに高めさせるものとなった。
(豊見城あずさ、劉衛流あずさ龍鳳館館主)