コラム「南風」 コピーライターの仕事


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 もうすぐ今勤めている会社に入って1年、イコール、コピーライティングの仕事を始めて1年になる。
 思えば大学生の時は図書館で雑誌「広告批評」ばかり読んでいた。東京で働いていたころ、「沖縄に帰って何をしようか?」と考えた時、いちばん最初に浮かんだ職業がコピーライターだった。結局違う職業を目指して沖縄に帰り、すっかり諦めていた6年後、ひょんなことからコピーライティングを始めることになった。

 30歳からのスタート。20代からこの仕事をしている人たちにはかなわない。私はずっと「書くことでは誰にも負けたくない」と思いながら詩や文章を書いてきた。今は「かなわないけど、負けたくない」と思いながらコピーを書いている。詩人としてのキャリアやプライドが邪魔になる時もある。詩人はアーティスト、コピーライターはクリエイター、という違いがあるからだ。
 コピーライターとして書いたものはお客さまへの提案で、たたき台である。こっちが寝ないで必死になって考えたコピーでも、あっさり誰かが赤を入れる。私が考えた言葉の痕跡はどこへやら。半年かけて積み上げてきたものが、最後の最後でまるっきり違ったものになることもある。私が担当したと言っていいのかわからないことが多々ある。ブログやSNSの普及でみんなが文章を書き慣れている世の中で、コピーライターに頼んだかいのあるコピーを生み出すために、ものの見方、考え方を磨く試行錯誤の日々だ。
 この1年でやってきたことはキャッチコピーをはじめ、ラジオCMやテレビの情報番組、タブロイド紙やホームページの原稿、ネーミングなどと多岐にわたる。
 書くことで、お客さまの思いと世の中の需要を結ぶため、とにかく上を目指して進んでいきたい。
(トーマ・ヒロコ、詩人)