コラム「南風」 哀愁のB級ホテル=コザストーリー


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 わがB級ホテルのお客さま。ごく普通のサラリーマンで年間5~6回のペースで、本土からコザの街へ通う奇特な方がいる。ライブハウスに通い、食い物屋でコザグルメを堪能し、季節になるとエイサーを追っかけやたらこの街に詳しい。聞くと、この街の空気に浸り徘徊(はいかい)しコザの友人たちとひと時を過ごす。それだけで癒やされるのだと言う。

 実はこの様な客は他にも数組いる。戦後、基地の城下町として興され60数年かけてさまざまな変化を遂げてきたこの街に漂う空気と、地べたにしみ込んだ歴史とが絶妙な世界を醸し出すのだそうだ。コザの音楽シーンを象徴するロックはベトナム戦時の荒れる米兵の魂を揺さぶり、財布からドル紙幣を引っ張り出す手段であり、彼らの胃袋を満足させたコザB級グルメはどんどん進化し地域の名物となった。
 エイサーや芸能活動が活発なのは押し寄せる欧米文化の浸食に危機感を感じた地域の人々の文化を継承発展させようというアイデンティティの表れだ。皮肉にもこれらはいまだに進化し続ける極東最大のカデナ基地を押し付けられ、その中でたくましくしぶとく生きてきた住民が生んだ副産物と言える。観光客や学生のゼミ旅行や修学旅行で、B級ホテル屋から見たわが町の変遷(コザストーリー)を講話する機会があるが、ほとんどの方がまるで別世界の物語に大いに関心を寄せ傾聴してくれる。
 私的な意見だが、戦後沖縄の縮図ともいうべきコザの数奇な戦後史を、語り部たちがおのおののコザストーリーとして語る場と当時をしのぶ資料館を創設する事で、たくさんの人たちが足を運び何かを感じコザファンが増殖すれば、街の活性化の一助となると確信する。
 明暗清濁併せのんだ不思議な香りのするこの街のファンは多く、思い入れも深い。そこには、多種多様なコザ物語がある。
(宮城悟、デイゴホテル社長)