コラム「南風」 約束


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 空手を再スタートするにあたり沖縄空手・古武道世界大会出場を目標としていたが、その目標を達成することはできなかった。
 大会後、師匠である佐久本先生から「今後どうするんだ? 空手を続けるか、辞めるか?」と問われた。選考会に出場し負けただけで、まだ何も始まっていない。ここで辞める訳にはいかないと思い即座に「続けます」と返答した。

 「やるからには目標が必要だが、君はどの1番を目指すんだ? 沖縄一、九州一、日本一、それとも世界一か?」と世界チャンピオンから尋ねられ、迷わず「世界一になりたいです」と伝えると、さらに1年は何日ある?と尋ねられ「365日です」と返答した。
 先生から返ってきた言葉は「世界一になりたいのであれば稽古は365日毎日。1日でも休んだら破門だ」との厳しい言葉であった。
 世界一を目指すにあたって師匠との間に交わされた「約束」となり、競技者としての生活が始まった。
 1日も休むことが許されない厳しい稽古の中1997年大阪で行われた、なみはや国体に沖縄県代表として出場することができた。
 5位入賞と手ごたえの得られる結果ながらも、日本を代表する選手たちと1戦を交え選手層の厚さに今のままでは日本一にもなれないと感じた。もっと空手に専念できる環境を作るため、高齢者介護施設での仕事を辞め午前中はバイトをし、午後は空手に全ての時間を打ち込めるようにした。
 1998年、1年に1度、東京で行われるナショナルチーム選考会に九州地区代表として参加。各地区代表、高校生・学生チャンピオン、ナショナルチームメンバー、そして世界チャンピオン。そうそうたる選手の中からナショナルチーム入りを果たすことは容易なことではなく、世界一になるためのスタートラインにさえつくことができずにいた。
(豊見城あずさ、劉衛流あずさ龍鳳館館主)