コラム「南風」 終末期における「もう一つの物語」


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 30代の女性を病院から自宅へと搬送しました。抱きかかえられて懐かしいベッドに横になったあと、最初に私に投げられた言葉が忘れられません。「先生! 私って、元気になるために帰ってきたんだよね」

 進行した悪性腫瘍について十分に説明を受けていましたし、それを理解した上で帰ってきたはずでした。私は一瞬たじろぎましたが、こう答えました。「そうですよ。元気になるために帰ってきました。そのお手伝いをさせてくださいね」
 すると女性は、「そうだよね~。私は元気になるんだよねぇ」という言葉とともに穏やかな寝息をたてはじめたのでした。
 終末期にある患者さんの多くが、その解決困難な問題を前にして、死を受容する現実とは別の「もう一つの物語」を創生しておられます。そこに新たな意味を見いだし、書き換えながら生きておられます。
 「真理は二つの中心をもった楕円(だえん)である」とは、内村鑑三が残した優れた言葉です。私たちは、中心が一つの真円として構造認知しようとする癖があります。でも、真理とは二つの(時に幾つもの)中心をもっているものです。そのどちらもが大切な中心であることを理解しなければなりません。都合の良いどちらかとだけ向かい合っていても、患者さんは決して救われないでしょう。
 尊厳死の議論が高まっていることは良いことです。ただし、死を受容する一面だけをみて結論を急いではなりません。なぜなら、もう一つの物語のなかで患者さんが生き生きとされていることもあるからです。
 どれほど法的に整合性のある尊厳死の手続きをとったとしても、その最期のときに「違う違う、私はもっと生きる。生きるはずなの!」という、あの女性の叫びが聞こえてくるんじゃないかと、そんな気がして私は不安でなりません。
(高山義浩、前県立中部病院感染症内科地域ケア科医師)