コラム「南風」 「最後の晩餐は?」


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 人生最後の食事を選べるとしたら、何を口にしますか。というよもやま話をお客さまにふるといろいろな答えが返ってくる。今まで食べた中で1番高級の物と言う方や、お母さんが作ってくれるおむすびと言う方。1杯のおいしいコーヒーがあればいい。なんて粋な答えの方もいて面白い。主人はあつあつ出来たての島豆腐らしい。沖縄人だ。

 今では風邪をひこうが、つい食べ物の事を考えてしまうほど飲食店経営者の鏡のような私だが、幼いころは食が細く母は大変苦労したらしい。野菜も魚も肉も駄目。桃色や、かわいい形の物しか食べなかった。甘い物も嫌いでお菓子も食べない。サーモンやエビ、桜でんぶがのった少しのご飯が弁当の定番だったらしい。その後厳しい母の涙ぐましい努力のかいあって何でも好き嫌いなくいただけるようになったのだが、「食べる」ことは「受け入れる」ことであり、こんな見たこともない変な物とても受け入れられない!と子どもながら感じていたように思う。聞いた話で「好き嫌いが多い人は人間に対しても好き嫌いが激しい」というのがあったが、何だか分かるような気もする。経験が大事なのだろう。
 これからの季節、重宝されるそうめん。これが私の最後に食べたい物である。流れが美しい白いそうめんをたっぷりの熱いおだしでいただきたい。漆器だとなお良い。これまでの生き方とこれからを静かに受け入れる時間にするのだ。
 そうめんは温でも冷やでもおいしい。良い麺だと、ゆがいたお湯にもとっくり滋味がしみ出し、落ち着いた味わいがある。肌寒い日はそのお湯ごと器に上げ、すり生姜(しょうが)を溶いたつゆでいただく。熱い日はキンと氷水で締め、たっぷりの夏野菜と薬味を一緒に。台風の日は魚缶とタシヤーにすると心強い。好き過ぎてつい話がのびてしまいそうだ。
(國吉真寿美、夜カフェ「rat&sheep」経営者)