コラム「南風」 日本代表


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 2000年4月、3度目のナショナルチーム選考会。昨年も最終選考まで残りながらも落選、ことしこそはと強い気持ちで上京した。東京は満開の桜が咲き誇り、春を迎える喜びに満ちあふれていたが、私の心は桜を愛(め)でる余裕すらなかった。

 選考会は、現世界チャンピオン、国内大会上位入賞者など並み居る強豪がひしめき合う20数人の選手から3枠を争う。今年も1次、2次選考と通過し最終選考を終え発表の時を迎えた。先に2人の名が呼ばれ、残るはあと1枠。祈るような気持ちで待っていると、「豊見城」その響きに胸中は歓喜にあふれた。世界への扉が開けた瞬間であった。
 世界大会まで月1度の合宿。選出された3人の中から日本代表として1人が選ばれる。この1枠を勝ち取ることは容易なことではなく、残念ながらこの年も代表には選出されなかった。
 02年、5年目の春。この年の選考会は個人、団体共に代表入りを決めた。8月に世界大会日本代表最終選考発表。結果は団体形で第16回世界空手道選手権スペイン大会に初出場することが決定した。
 02年11月、世界大会当日の朝、代表としての重圧やメダルへの期待に息苦しささえ覚えた。自らを鼓舞し会場へ向かうと、そこには師匠をはじめ、家族、道場生と多くの方々が応援に駆け付けていただき、心強くその声援に感謝した。
 1回戦シード。2回戦スコットランド、3回戦オーストラリア、準決勝ではイタリアを破って決勝戦進出を果たした。決勝の相手は前回大会優勝のフランスチーム。先攻赤、フランス。後攻青、日本。劉衛流最高峰の形アーナンで挑んだ。場内を沸かすことができ「いける!」と感触を得た。判定の時。5人の審判員のうち過半数を取れば優勝が決まる。「ピーッ!」主審の笛の合図で一斉に旗が上がった…。
(豊見城あずさ、劉衛流あずさ龍鳳館館主)