コラム「南風」 慰霊の日に


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 慰霊の日が近づくと、小中高では毎年平和教育があり、戦争体験者の話を聞いたり、本で調べて壁新聞を作ったりするという取り組みがあった。どうしても慰霊の日と向き合わないといけない環境があった。

 大学に入ると、平和教育はなくなり、大学の先生が講義で「もうすぐ慰霊の日ですね」と話題にすることもほとんどないことに驚いた(今年から「沖縄戦」という共通科目が開講され、好評であることを本紙で知った)。慰霊の日は大学は休みだったが、慰霊の日を意識して過ごすかどうかは各人の判断に委ねられる。
 さらに、大学を卒業して県外で就職した私は、衝撃を受けた。慰霊の日の会社の昼休みにちょうど、テレビから糸満の戦没者追悼式典が中継されていた。私が真剣にテレビを見ていると、「知っている人でも出ているの?」と同僚に聞かれた。テレビに平和の詩を読む子どもが登場すると「言わされているんじゃないの?」との声があちこちであがった。いつも一緒に仲良く仕事をしているみんなとの価値観の大きな違いに驚き、頭の中は真っ白になった。そんな中に1人だけ、黙って真剣にテレビを見ている先輩がいた。後から聞いてみると、その先輩は大学に入ってから戦争や平和について学んだのだそうだ。基地の有無だけでなく、県外では戦争や平和について幼い頃から学ぶ機会が少ないから、沖縄との温度差が生じるのだと気付かされた。
 今年も6月になり演芸集団FECの舞台「お笑い米軍基地」が県内各地で上演されている。私は初日の那覇での公演を見に行った。私たちには米軍基地にまつわる沖縄の矛盾にただ翻弄(ほんろう)されるのではなく、それを笑い飛ばす強さがある。皮肉満載のエンターテインメントに刺激を受けつつ、「南風」の原稿の筆をおく。半年間どうもありがとうございました。
(トーマ・ヒロコ、詩人)