コラム「南風」 沖縄


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 私は広島で中学、高校を卒業した。韓国からの引き揚げ者であるから、はじめて中学に登校した時のことは忘れられない。同級生は、火傷をした生徒が多く、何故かと私にとっては謎であった。

 やがて、ピカドンと呼ばれた原爆の傷と判明した。彼らに何の責任もない。言いようもない悲しい過去を背負っているのだから。しかし、彼らと何もなかったように、未来に夢を抱いて勉強に運動に明け暮れた。未来に賭けたのである。
 そんな私は、戦争の被害という共通の体験をした沖縄に強く引きつけられてしまった。沖縄の皆様と未来を切り開きたい。何か私にできることはないか、そんな思いが沖縄への第一歩であった。
 私の経験は服のことしかない。沖縄には、かりゆしという伝統の服飾が夏服として県外に評価され始めている。まさにハワイのアロハシャツと同じではないか。アロハシャツは2千万着販売されている。もし、かりゆしというシャツがハワイと同じように世界的なリゾートウエアに成長すれば、沖縄の一大産業になると直感した。沖縄で生産するとすれば一流の縫製工場が必要であるが、縫製技術には改良の余地がある。アジア主要都市を結ぶ国際貨物ハブ空港が沖縄に建設された。輸出産業に成長できるポテンシャルがある。
 アロハは、移民した日本人の私服から必要に迫られて生まれた和のルーツを持っている。素材は、シルクから綿、合繊、麻と多様であるが故に進化発展した。
 沖縄のかりゆしは前途洋々だ。かりゆしの素材の制約が厳しすぎると、価格帯やデザインに、幅がなくなってしまう。かりゆしゴールドラベル(純粋の沖縄素材)黒ラベル、その他の柔軟な対応ができないだろうか?沖縄の総力、知恵を結集し、先例に負けない沖縄一の産品として育てたい。
(貞末良雄、メーカーズシャツ鎌倉会長)