コラム「南風」 チキンと生きる


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 手を見る。じっと手を見る。「汚いでしょう、働いてると手が汚くなるのよ」。そう言う母サチコの手、32年チキンを切り続けてきた手は節がしっかり太くたくましい。

 その手と並べて自分の手を見る。まだしわの少ない手の甲にやけどの痕がひとつ、ふたつ。爪は常に短く切りそろえ、もちろんネイルもしていない。
 64年生きてきた母の手と、32年生きてきた私の手。これまで働いてきた手と、これからきっと何十年も働く手。
 私はたくさんある選択肢の中から、働く手として生きる道を選んだ。この先もっと、やけどの痕が増えて母のようなかっこいい手になるのだろう。人生はとても面白い。
 両親はチキンの丸焼き専門店を32年営んできた。
 私も32歳、同じ年だ。30歳の時に8年勤めた広告代理店を退職し、チキン屋に入った。自営の苦しさを知る父母には歓迎されずに始めた、2代目の道。給料は会社員時代の半分、手は荒れるし、常に家にも服にもニンニクの匂いがつきまとう。それでも自分で選んだ人生は最高に面白い。
 「チキン屋なんて地味な仕事、よく選んだわね!」知人に言われた言葉だが、仕事に地味も派手もない。前職の広告業は派手だと思われがちだが、一人で数百軒ものガソリンスタンドに電話を入れる心底地味な作業もある。
 もちろんチキン屋も地味な作業も多いが、いつもお客さまと近所の子どもたち、家族の笑い声でにぎやかだ。
 ひょんなご縁で、こうしてコラムを書く機会もいただいた。せっかくの場で何を書けば読んでくれる方のプラスになるのか。立ちっぱなしの仕事で少し痛む膝とやけどの痕がかわいい手をさすりながら、チキンと、いや、キチンと考えたい。
(幸喜ブエコ朝子、「ブエノチキン浦添」2代目)