コラム「南風」 ウチナーンチュの「並ぶ」


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 東日本大震災時、配給の際、根気強く「並ぶ」日本人の姿に海外メディアから数々の賞賛の声が寄せられたのは記憶に新しい。
 「っていうか、並ぶだけで賞賛とか、海外どんだけ荒れてんだよ」と思ってしまったことは内緒である。とりあえず「並ぶ」ことが日本人の特色であるなら、数ある“沖縄あるある”のなかでも「ウチナーンチュは並ばない」は、最も日本人色の薄い県民性の一つということになる。

 時刻表に従って来るバスを、バス停などで待って「並ぶ」様子は普段見受けられない。バスやモノレールが来たらワラワラ集まって乗車する。
 一説によると、沖縄のコミュニティとしての記憶に、「並ぶ」ことを定着させる第2次産業化が欠けていたことが原因だとする考えがある。
 第2次産業化、いわゆる工業化を経験することではじめて、コミュニティ全体が時間に合わせカラダを制御することを覚えるという。すなわち、それまでの第1次産業では、太陽のリズムに合わせて行動していたのが、第2次産業化することで時計のリズムに合わせて行動するようになるというのである。
 確かに、沖縄には、県外のような大きな工業地区は存在しない。なるほど納得である。それでは、ウチナーンチュの行動様式に「並ぶ」がまったく存在しないのかというと、そうでもない。エイサーやマーチングなどでは驚異的な「並ぶ」を発揮する。
 まっすぐはもちろん、動きながら魅せる隊列もお手のもの。最近なにかと話題の“V字”になるような隊列も余裕でこなせてしまう。ウチナーンチュにとっての「並ぶ」は、時計というより、音楽のリズムに合わせてカラダを制御する側面を色濃く持っているのかもしれない。そう思わずにはいられない事例だ。
(知花悠介、ナレーター タレント)