コラム「南風」 いじめられっこだって、世にはばかる


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 私には、いわゆる「いじめられっこ」だった時代がある。いじめっこだった人たちが、それを認識しているかは謎だが、当時は毎日がとにかくしんどかった。

 当時の私はどちらかというと、クラスのリーダータイプ。自分で言うのもなんだが、勉強もスポーツもできるし、男子の友達も多かった。それがある日を境に、女子グループから無視されるようになり、黒板や机に悪口を書かれ、ドッジボールをすれば格好の的となった。その日までの私は、いじめの導火線に火がついていることも知らず、調子に乗って毎日を楽しく過ごしていた。当時の私に会えるなら、「ナニゴトも控えめになさい!」とでもアドバイスしておくべきか。
 トモアレ、そんな私がこんなにすくすく、むしろふてぶてしいまでに育ったのは、母親に相談することができたからだ。母はすぐに学校へ行き、校長に直談判。私を学校に行かなくてもいいようにしてくれた。勉強は兄弟が見てくれるし、男子の友達は変わらず遊んでくれるし、なーんだ、学校なんて行かなくていいじゃん! そう思ったのは少しの間だ。やっぱり学校に行きたい。というより、行かないとこの先ヤバイぞという思いが募り、私は再び学校へ戻り、どびゅーんと今に至る。
 Kukuluに来ている子たちは、ひとくくりで言えば「不登校」だが、そこにはさまざまな理由がある。いじめが原因で行けなくなった子も少なくないが、彼らは決して学校に行かなくていいなんて思っていない。行けるものなら行きたいし、友達だってたくさんほしい、そう願っている子がほとんどである。Kukuluは逃げ場であり遊び場であり、学びやであり居場所だが、そんな彼らの声なき声に耳を傾け、彼らを認め、彼らと一緒に社会への出口を作る。それが私たちの一番の役目なんだ。
(今木ともこ、NPO法人沖縄青少年自立援助センターちゅらゆいフードプロデューサー)