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<ひと>能登半島地震の被災者らを宿に受け入れ 坂本菜の花さん、災害時も「大丈夫と思える場所を」


<ひと>能登半島地震の被災者らを宿に受け入れ 坂本菜の花さん、災害時も「大丈夫と思える場所を」
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 能登半島地震で被災した石川県珠洲市で「湯宿さか本」を両親と営む。建物に大きな被害はなく、避難所になじめない高齢者ら延べ180人ほどを受け入れた。「自分でやれることをやるしかない」と柔らかなまなざしで語る。

 珠洲の小学校を「窮屈」に感じて和歌山県の学校に転校。中学の修学旅行で行った沖縄に魅了された。那覇市のフリースクールに入り、太平洋戦争の影響で通学できなかったおじいやおばあと学んだ。「戦争を自分の生活と地続きに考えられた」。基地問題などに向き合い、体験記「菜の花の沖縄日記」が出版された。自身を取り上げたドキュメンタリー映画も反響を呼んだ。

 地元に戻り約6年。今年の元日も、例年と同じく宿で常連客と過ごしていた。地震でまきストーブが倒れ、必死で水をかけて裏山に逃げた。

 1月4日から被災者や災害ボランティアらが口コミで宿を訪れるように。食料を持ち寄ってくれ、連日10人程度が寝泊まりした。一緒に井戸で水をくみ、食事の準備をする中で復興へのアイデアを教わることもあった。

 4月6日から営業を再開したが、地域の多くの建物は倒壊したまま。宿に集まる人に後押しされ「ちょっとした所で力になれたら」と重機を使う免許を取得した。

 「夏だったら冷房が使えず死活問題だった」。太陽光や近くを流れる小川で発電できないかと考える。「災害が起きても大丈夫だと思える場所をつくりたい」。試行錯誤しながら前に進む24歳。

(共同通信)