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<ひと>「俺しかいない」と覚悟決め J1神戸の監督としてリーグ初制覇に導いた吉田孝行さん


<ひと>「俺しかいない」と覚悟決め J1神戸の監督としてリーグ初制覇に導いた吉田孝行さん サッカーJ1神戸の監督としてリーグ初制覇に導いた吉田孝行さん
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 神戸がJ2降格の危機にあった昨年6月、自身3度目の監督就任要請を受けた。「正直、やりたくなかった」という。過去2度も低迷時に引き受け、次の監督までのつなぎのように使われては任を解かれた。はかない立場を嘆きながら、苦悩する選手を見て「俺しかいない」と覚悟を決めた。「神戸が好きなんだろうね。愛だよ」。苦労人のいちずな思いが、残留争いの翌年に初優勝という大団円につながった。

 兵庫県川西市出身。滝川二高3年時の1995年1月、阪神大震災が発生。「そのまま学校に行けずにプロになった」。FWとして加入した横浜フリューゲルスではクラブ消滅を経験。最後の試合となった99年元日の第78回天皇杯全日本選手権決勝ではゴールで優勝に貢献した。横浜M、大分に移っても「チームがなくなるわけじゃない。思い切ってやろう」と腹が据わった。「苦しい時に力を発揮するタイプ」と自負する原点だ。

 神戸入りは30歳。横浜Mを戦力外となった自分を拾い、指導者への道も開いてくれた感謝は忘れない。36歳での現役引退時に語った「いつか神戸を日本一に」との夢は、10年後にかなった。

 46歳。生年月日が同じで、盟友だった元日本代表DF松田直樹さんが2011年に34歳で亡くなった。「マツが生きていたらどんな指導者になったか。彼の分も頑張りたい」と誓う。今季、趣味の釣りに出かけたのは1度だけ。練習が休みの日も、カフェで分析映像やデータに向き合った。家族は妻と1女。

(共同通信)