このコラムを書いているのは6月23日。沖縄が鎮魂の祈りに包まれる日だ。先ほど赴いた慰霊祭では、父を亡くした男性に会った。彼は79歳。父の顔は知らない。「英春って言うんだよ」。手のひらに名前を書いて教えてくれた。
5月には津堅島で不発弾3発が見つかった。米国製81ミリ迫撃砲弾で、沖縄戦時のものと見られる。雨の影響で土の中から姿を現した実物に、私は後ずさってしまったが、島の人は慣れているようだった。「海でも土でも何度も見てるからね」。ここは激しい艦砲射撃があった場所。
戦の爪痕は79年たっても、至る所で見つかる。陸上自衛隊によると、不発弾による緊急要請は年間で約400件。
慰霊祭では涙を流し震えながら手を合わせる女性がいた。戦は終わらない。身にしみて感じた一日だった。
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私が書きました
玉城 文
(中部報道班)