120年の伝統歌、私たちが復活させた 奥小児童ら調査、披露


この記事を書いた人 志良堂 仁
120年以上前にできた郷土の歌「奥村」を復活させ、披露する奥小の児童、教職員ら=11月29日午前、国頭村奥の集落センター

 【国頭】国頭村奥で継承が長年途絶えていた郷土の歌「奥村」を、地元の奥小学校(田場勝校長)の全児童13人がこのほど復活させた。「奥村」は120年以上前から奥に伝わる伝統の歌で、児童らは地域の高齢者への聞き取りや文献などを基に曲や歌詞を調べた。11月29日に奥区の集落センターで開いた学習発表会で披露した。

 歌詞には1895年ごろの人口「880人」も記されている。児童らは当時の2割に減った人口(183人)や自然環境の変化などの課題に触れつつ「歌を広げたい。人口や環境の課題に取り組みたい」と住民らへ呼び掛け、大きな拍手に包まれた。
 郷土歌復活は田場校長がウオーキング仲間の与那城安(やす)さん(100)=奥在住=に地域行事などで皆で歌っていた「奥村」の存在を聞いたのがきっかけ。校長は復活を提案し、歌詞資料を持つ奥在住の宮城節子さん(97)の協力を得て、歌詞の意味も調べた。音源はないため、与那城さんや宮城さんが歌う声を録音し、同校の仲田里奈教諭(音楽)が楽譜に起こした。
 舞台で児童らは「人口八百八十人 九つの組にわかれても 共同一致の意志厚く それに質朴従順と」など団結心が強い奥の特徴などを歌った。同校4年の宮城美桜(みお)さん(10)は「環境も良くして、人口が増える奥にしたい」と笑顔を見せた。
 鑑賞した島袋義洋さん(52)は「50年余、奥に住んでいるが歌は知らなかった。感動した。継いでいきたい」と感銘した。奥区の金城より子区長は「(部分的に)聞いたことはあるが、これだけ意味まで調べて聞くのは初めて。歌詞一つ一つに奥の地域性が出ている」と感慨深げに語った。田場校長は「奥をどう発展させていくのか子どもたちが考えるきっかけになれば。学校でも日ごろの給食時間などで流したい」と継承への思いを込めた。(古堅一樹)

「奥村」

我 沖縄の北のはて
鹿児島県との境なる
山と山との そのそこに小さき村あり奥と云う

那覇には三十八里余
名護には十四里役場には
六里も名高き与那の坂(ひら) 
ザツンやブミの坂(ひら)も越ゆ

道は坂道遠くして
交通不便の奥なれど
名じつかわる村のさま
いざや人々案内せん

戸数は百と六十余
中に瓦家二十戸あり
点々かややを点てつし
さながら絵をば見るがごとし

人口八百八十人
九つの組にわかれても
共同一致の意志厚く
それに質朴従順と