社会
未来に伝える沖縄戦

<未来に伝える沖縄戦>偶然の不発弾で助かる 岸本松子さん(84)〈上〉

岸本松子さん(右)から戦争体験を聞く幸喜藍里さん(左端)、浜比嘉美月さん=16日、南城市玉城字百名

 南城市玉城字百名に住む岸本松子さん(84)は戦時中、知念村志喜屋(現南城市)で戦争を体験しました。2人の兄を兵隊に取られ、幼い弟たちを守るために、空襲や艦砲射撃から逃げようと近くの壕に身を潜める生活をしました。岸本さんの戦争体験を南城市立玉城中学校3年の浜比嘉美月さん(14)と幸喜藍里さん(15)が聞きました。

   ◇   ◇
 《知念村には1944年8月から武部隊(第9師団)や石部隊(第62師団)などが駐屯し、住民は陣地構築や食料供出、小禄飛行場の建設に駆り出されていました》

 私は親の代わりに陣地掘りの手伝いに行っていました。本当は親が出ないといけないけど、家族が多くて、小さい子どもを母親は見ないといけないからです。長男は山部隊(第24師団)に入隊して、次男も義勇隊として兵隊に連れて行かれました。
 45年3月から艦砲射撃がひどくなったと思います。海いっぱいにアメリカの船が見えました。私は弟たちを連れて「タタンシチー」という壕に避難しました。砲弾の「バンバン」という音が3月は特に激しかったです。

※続きは12月26日付紙面をご覧ください。





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