沖縄問題「複雑怪奇、矛盾の塊」 屋良元知事の指摘、今も


社会
この記事を書いた人 志良堂 仁
退任式であいさつする屋良朝苗知事=1976年6月24日、那覇市の県庁前

 初の公選主席で、最初の県知事を務めた屋良朝苗さん(1902~97年)が76年6月24日に那覇市の県庁前で開いた知事退任式でのあいさつや、同日に県庁で開いた記者会見の様子を録音したカセットテープを、当時琉球新報記者として取材したジャーナリストの三木健さん(76)=浦添市=が保管していた。屋良さんは復帰に伴い表面化した多様な課題を「複雑にして怪奇、矛盾の塊のよう」と語り、「基地のある間は沖縄の復帰は完了したとは言えない」と復帰44年を経た現在にも通じる課題を指摘していた。

 三木さんは屋良さんの「沖縄の運命打開には鈍角的態勢がいい」との言葉を挙げ、「県民生活からにじみ出る要望を(日米に)ぶつけた屋良さんの姿勢は、現在の基地問題にも求められる対応だ」と話している。
 屋良さんは退任式のあいさつで沖縄戦を「祖国防衛の盾という手段」、米統治下の時代を「異民族支配に任されたのは敗戦の処理の手段」と、ともに「手段」という言葉を使って位置付け、日米に翻弄(ほんろう)されてきた沖縄の立場を鮮明に打ち出している。米統治や基地に派生する問題を「異民族支配、膨大なる基地の影響下にさらされてきた諸問題はあまりにも複雑にして怪奇、矛盾の塊に似たような問題」と振り返っている。
 復帰前を「仮の社会」と呼び、復帰を求めた自身や県民の思いを「今は苦しくても正しい道を選ぶのが人間の生き方。本質を求めるのが県民の心だ」と強調。退任後も残る課題として米軍基地問題、渇水問題、基地経済からの脱却などを挙げ、任期中に「諸問題に対する基本的な方向付けができた」と述べている。
 三木さんは「沖縄は大衆運動で自治権を獲得したが、復帰を経ても基地問題は未解決のまま残されたことが『心残りだ』と述べていた。次の世代に託すように語り掛けていたのが印象的だ」と振り返る。テープは適切に保管してもらえる資料館などに寄贈する考えだ。(宮城隆尋)